METAL SLAP

どーも、” くだものだもの  みつを ” 半沢です。


もう明日から4月ですな・・・4/20入荷予定の商品はスイギングスキン ツバメ君とRYO
君のデザインのヘヴィーウエイトTシャツです。ハードエッジ溢れる感じになっております。


乞うご期待!


では・・いつまで続くんだジョニスペ物語のつづき!

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”そんなバナナ”シリーズも強烈なインパクトで何とか売れていた。



だけど・・相変わらずお金にならないし、生活は苦しかった。



自由でやりたい事はやっているという意識はあったんだけど・・・正直、周りの友達の収入と自分の収入を比べてしまったりすると焦りと劣等感はあった。



だから何となく周りの友達とも疎遠になっていってた。



ビルから落ちる夢を見たり・・・眠れない夜が続いていて・・・ストレスで吹き出物も次から次にできていた。


この辺りから俺の精神はどんどん悪い方に傾いていった。



救いだったのは相棒で・・そんな俺をいつも励ましてくれてた。



相棒も同じ状況なのにね。



相棒は俺に内緒でバイトもしてた。知ってたけど・・・俺も相棒には何も言わなかった。多分、俺に気を使っていたと思う。



・・・・俺が不甲斐無いからだ。



もっと頑張らなきゃ二人とも終わってしまう・・・・俺はいつもそんなことばかり考えていた。



「退廃」をテーマにしたジョニースペードを作る為に俺は自分の精神も其処に持っていかないとイメージが湧かなかった。



聴く音楽も荒れ果てたダークな感じが多くなり・・・心理学や犯罪者の本を読み耽るようになり・・・部屋に篭るようになっていた。



徹底したニヒリズム(刹那主義)を体現しようと言動や行動も病んでいってたと思う。今、考えると非常に俺らしくないんだけど・・その頃はそんな感じだった。



今のジョニースペードにもそんな俺の退廃の美意識がどこか感じられる場合があると思うけどね。



・・・そしてジョニースペードはどんどん退廃したパンキッシュな方に向かっていった。




・・・蝶を全部黒塗りにして死を連想させる「DEATH BUTTERFLY」



・・・白黒の荒れ果てた耳のフォトでディスチャージインスパイアの「EROS」



・・・ヨーロッパ中世のブロンズの少女をパンク的にフューチャーした「BABY」



・・・裸の女性に沢山のドアが付いていて、腰に鍵がプリントされた「ANGEL POLLUTION」



・・・沢山のマネキンの手が光と影のコントラストでプリントされた「PARADICE」



・・・錆びた血まみれの釘が十字架になっている「JESUS」



・・・手が背中に大きくプリントされて、中にパンク風切り文字の「I HATE MY SELF AND I WANT TO DIE」


・・・タイプライター文字を使用した「BLOOD」と「IDIOT」



この頃は原宿や下北沢に取扱店があったんだけど、スタイリストの人達がTVに出演するタレントの衣装を探しに来ていて、取扱店がジョニースペードを貸し出ししてくれていた。



関口宏のフレンドパークやSMAPの番組で自分の商品を見たときにはビックリした(笑)。



相棒と電話しながら、そのTVを観てたのを憶えてる。



二人とも喜んでたんだけど・・だからといって俺達の生活が変わらないのもよく理解してた。



ジョニースペードも俺の退廃した美意識でイメージが固まってしまって、テイストの合わないデザインはリリースできなくなっていたし・・ある意味、行き止まりを感じていたと思う。



・・・俺は色々考えた挙句、もう一つブランドを作ろうという事を相棒に提案した。



もっとアメリカンコミック的でホラーテイストなブランドを俺は考えていた。ジョニースペードのようにシリアスではなく、もっとブラックユーモアがあるブランド。



・・・そして「METAL SLAP」というホラーテイストのブランドをリリースした。



背中に半漁人のトレードマーク、墓地にコウモリのロゴデザイン、ハンバーガーに挟まれた人間、三匹のネズミ・・etcとブラックユーモア満載のブランドだった。財布やキャップなんかもリリースしたと思う。



昨年、STINK GASPERSのイズミ君と話したら「俺、持ってましたよ〜」なんて言ってくれた。あの頃はサイコビリーにMETAL SLAPは人気があった。



あの頃はイズミ君とANGERのリュージ君、LANDSCAPEのケンジ君でLOWHEADS LOBOTOMYというサイコビリー&ハードコアスタイルなバンドを組んでいて、仙台では絶大な人気があった。

  

ライブでジョニースペード×LOWHEADSのTシャツを販売しよう!という話になって・・・50枚位製作した。


ジョニースペードでバンドのTシャツを別注されたのも初めてだったと思う。



鉄の鎖の中にLOWHHEADS LOBOTOMYのロゴ。



ライブが始まって・・・即、完売した。俺はあまりのバンドの人気に唖然としたのを憶えてる。



イズミ君の圧倒的なステージング、リュージ君の狂気的な雰囲気&スピードのあるギター、ケンジ君のバイオレンスな雰囲気のウッドべース・・・カッコよかった。


それから仙台のパンクバンドのダブルネームリリースが増えていくことになるんだけどね。それはまたの機会に書きますね。



・・・METAL SLAPはリリースした分は売れたんだけど・・結局、ジョニースペードの予算がなくなってしまうという事で一度きりのリリースで終了してしまった。



だけど、自分の感覚やイメージを欲しがってくれる人達がいるという自信には繋がったので無駄ではなかったと思う。



つづく・・・

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今日は俺の憧れ、NICK CAVE師匠。


ポジティヴパンクと称されたゴス時代のバースデイパーティーからファンです。


これがまたPJ HARVEYと一緒に演ったり・・俺のフェイバリットと繋がっていったりするので嬉しくなりますな。


アルバムはほとんど所持してるし、詩集も何冊か持ってるけど・・神との対峙や愛、罪、そして悲しみみたいなものを書ける才能を持った人でもあります。


ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
「破壊」から「退廃」へ
 ”えっ?宇宙で行ってみたい場所ですか?・・・ん〜・・土星でしょ・・水星と・・・冥王星に・・あっ、あと化粧惑星!”



うわぁ、いくらなんでもこれは寒い・・・どーも、半沢です。



ではではジョニースペード物語の続き!


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そんな感じで・・・ジョニースペードは相変わらず極貧だったけど、取扱店は少しづつ増えて何とかやっていけるようになっていた。



俺と相棒は相変わらずで・・仙台の取扱店に納品したり、欲しいと言ってくれるお客さんに配達をしたりの毎日で日々は過ぎていた。



俺は次の新作デザインに取り掛かることにした。



ファッションや音楽には周期があって、時代時代でひと回りしてるんじゃないか?という俺の自論があって・・・俺の夢中になっていたファッションや音楽を戻って当てはめていけば、流行にハマる場合が多かった。



15歳でロックンロール、16歳でパンク、ハードコア、17歳でニューロマンティックやゴシック、18歳でネオロカビリー、19〜22歳でハードアメカジやバイカースタイル、その次はハードコアスケート、サーフ、ギャング、チカーノ・・・と俺はその時々で、そのスタイルに徹底的にのめり込む性質を持っている。



そのことに自分で理屈がつかなかったんだけど、最近は親友が俺を分析して教えてくれた「ローリングストーンズ理論」というもので自分に納得できるようになった。



・・・あの時は「パンク」の次をテーマにしようとしていたから、パンク色を残しつつ、「デカダンス」を表現していこうと思ってた。



「破壊」の次は「退廃」、「パンク」の次は「デカダンス」という俺の理論だった。



セックスピストルズ、クラッシュ、ダムドなどの70’sパンクやディスチャージ、GBHなどの80’sハードコアをテーマにした「パンク」の次にデビットボウイ、ヴェルベットアンダーグラウンド、イギーポップなどの文学的で退廃的な「デカダンス」をジョニースペードに持ち込んだ。




最初はピカソの「青の時代」や「ゲルニカ」をイメージしようとしたり、エゴンシーレの絶望的且つ悲しみに溢れる感じにしたかったんだけど・・ジョニースペードはストリートのアウトサイドカルチャーをテーマにしてるんで、アート的アプローチは難しかったし・・・たとえ表現できたとしてもシリアス過ぎる感じの商品では売れないと思った。




アンディウォーホールやデビッドホックニーのようなポップアートをぶっ壊した方がまだ売れそうだと俺は踏んだ。




俺の勝手な解釈だけど、アンディウォーホールは既存の物を壊したり、付け加えたりというアレンジアートだと思っている。



ジョニースペードでそれをまた壊せばいいと思った。


「時計じかけのオレンジ」で使われる「超暴力(ウルトラバイオレンス)」をテーマにしたその時のシリーズがこれ!(CUTIE 1994年 5月号)






パンキッシュって言葉を使い始めたのも、この辺りで・・・担当者に「パンキッシュ」って何ですか?と言われたりした。



「NO FUN」、 「CASH FROM CHAOS」・・というパンクアイコンをスケート&サーフスタイルに料理した。



面白かったのが、このヴェルベットアンダーグラウンドを意識したバナナデザイン。



これは本当のバナナを買ってきてコンビニのコピー機でコピーしたんだけど・・・立体的なバナナをちゃんとコピーでするのが一苦労で・・・最終的にはコピー機はバナナ果汁でビシャビシャになってしまって・・・俺と相棒はまたそこに呆然と立ち尽くしてた(笑)。まぁ、何とかコピーできたんだけどね。



その次は五寸釘をコピー。これも立体的なんでコピーに苦労したけど、バナナよりは楽だった。



そのバナナと五寸釘のコピーを切り抜いて、コラージュして・・ペンで書き加えて原稿を作った。


アンディウォーホールのアートを俺なりに解釈して壊したたつもりだったんだけどね・・・。


このシリーズもヒットして、俺達は何とか生活できていた。


俺と相棒はこの頃は何とか8万円の給料が取れるようになってきたのを憶えてるよ。


俺達は調子に乗って洋服買いまくってたね・・・。


そして・・・・やっぱ極貧(笑)。


いつでも300円で安くてボリュームのある仙台の名物店「はんだや」で腹一杯にしてた。


塩辛とご飯どんぶりのみのメニューの毎日はなかなか厳しかったね(笑)。


つづく!

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今日はBAUHAUS!

16歳の頃から大好きで・・・俺に非常に影響が大きなバンド。


白と黒のモノトーンのファッションやストロボを多用したステージングでストイックでソリッドなバンドでした。アート、グラムロック、文学性、演劇などを表現していてCOOLだった。


これはT-REXのカバーなんだけど、最高にカッコイイ。


デビッドボウイやブライアンイーノのカバーなんかもやっていて、俺にはドンズバでした。


日本での再結成ライブも観に行けて感動しましたわ。


INNSANITYの「SKY」やNIGHTBIRDの「BABY DREAMIN'」のイントロはこの曲のギタースタイルにインスパイアされてます。

ではまた!



ジョニースペード物語 | - | -
THE 営業
”春の予感で心が踊りだしそうな季節ですね・・・うわぁ!何故か足が勝手にぃ!ステップを踏み出してるぅ!”


・・・どーも、マンボ半沢です。(七海ブログパクリ)


七海ちゃんのロックビューティーのブログで、お隣のdELVIS和野ちゃんがモデルをやってくれました。今回のTシャツの雰囲気はこんな感じです。

http://josprock.jugem.jp/


・・・では書くのが面倒になってきたジョニスペ物語のつづき(笑)。

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前回の話の通り、俺の卑怯極まりない作戦が成功し、ジョニースペードは「FINE」に掲載された。


反響は凄く、池袋のサーフ&スケートショップなどの取扱店も増えて、全国にジョニースペードを展開するという俺の夢は現実に一歩近づいた。


その頃に俺は初めてちゃんと営業をしてみようとカタログを作る事を考えた。


俺の高校の同級生に一匹狼のプロのカメラマンがいて・・今もたまに店に来てくれる。
彼はその頃、写真館を任されていて・・いつも忙しそうにしてた。


あの時代はデジカメもなかったし、もちろんパソコンもない。


カタログを作ろうにも、インスタントカメラではピントがボケてしまって綺麗には写らない。


俺は何とか安く、カラーでカタログを作りたかった。


考えた挙句、俺は思い切って写真館に彼を訪ねてみた。


同級生でもある彼は凄くフレンドリーに接してくれて、俺達に優しくしてくれた。


しかし、普通に写真を撮る価格を聞いたときに、「ゲッ!」と思うほどの金額だった。
まぁ、プロカメラマンですから当たり前ですな。


俺がうつむいてると・・笑顔で「半沢なら、この金額でいいよ」と俺が出せる金額を提示してくれた。


あの時はありがとね・・・助かったよ。


彼からOKをもらった俺達は、商品を写真館に持ち込んでジョニースペードの全商品を撮影してもらった。


俺は撮影というものを簡単に考えていたんだけど、本当に大変だと思った。


露出、色、バランス、ウエアのしわ・・・一枚一枚気をつけて撮らなければならないという事がその時に分かったね。


そんな大変な撮影の様子を見て、彼に安易に頼んだ俺は申し訳ない気持ちで一杯だったんだけど・・・彼は意外に楽しく撮影してくれていて・・俺と相棒の写真まで撮影してくれてた。


今もその写真は大事にとってある。


・・・俺達は彼のおかげでカラーコピーのカタログを作れた(あの頃はカラーコピーが一枚250円だった)。普通のブランドなら、印刷で豪華なカタログを作るんだけどね・・・ほら、俺達は金無いじゃん(笑)。仕方ない。


そのカタログを200枚作って、俺は手当たり次第に雑誌に掲載されてるショップに発送した。
しかも、ショップに届いた日あたりに電話を入れた。



「どーも、ジョニースペードです。カタログ届いたでしょうか?宜しかったら検討してみてください!」



・・・ショップ200件、全部に電話して検討してもらうようにお願いした。


そして結果、3件OK。


3件でもありがたい。



本当は全国に出張して取扱店を足で探すのが普通の時代だったからね。
出張費もない俺達にはこのやり方しかなかった。



その頃はジョニースペードの黒主体のウエアは本当に評判が悪かった。もっと青とか赤のボディで作ってくれ!と散々言われてたわ。


相棒にも「半沢の声は低音でドスが効いてるしさぁ・・・そりゃ、無理だわ!ワハハ」と大笑いされた。


俺も大笑いしてたけど、大笑いしてる場合じゃない。197件はダメだったんだから。


まぁ・・・振り返ってもちゃんとした営業みたいなものはこれっきりだったんじゃないかなぁ・・・。


ジョニースペードは今も展示会は出店しないし、ショップに電話をかけて営業もしないし・・。


こんな仕事のスタイルは普通は怒られるか、クビですな(笑)。


でもジョニースペードを取扱たい!ってショップがあれば一枚だって取引するさ。


まぁ、JOSPスタイルってことで。


つづく!

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今日はTURBONEGRO!

デニム上下にTON-UP CAPがトレードマークでグラムロックの匂いがプンプンする。

これまたアルバムは全曲捨曲無し。

俺の大好きなDAVID BOWIEのサフラジェットシティをカバーしてたりする。

このバンドに影響されて、俺はウチの取扱店のCOOさんからMAD3のエディ君のTON-UP CAPを購入しました!

http://www.coo-store.com/shop/syolist_l.php?id=WEZ680



ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
長靴をはいた猫作戦
 どーも、「ちょっとその恋、マジかよ、ちょっとその恋マジカル」・・・この一行でボーダーラインぶっちぎりの半沢です。


今回、mixiのアンケートでスポットで発売した薄手のファインジャージーシリーズも好評でホッとしました。


すでにMサイズに関しては完売に近い状態になってきてますので、検討してるお客様はお早めに!


それと3/4ラグランTシャツのサイズの選び方ですが、普段ジョニスペのMサイズをジャストで着ているお客様はLサイズとワンサイズアップにすると雰囲気良く着れますよ!


ジョニースペードは来月から昨年同様のヘヴィーウエイトTシャツに戻りますので、ヘヴィーウエイトファンのお客様は期待して待っててください。


薄手でタイトなラインやカラフルなラインは七海ちゃんのロックビューティーのメンズから発売していきますね。


今日の俺のお薦めブログです。


まずは俺がもっとも信頼を置く男、安達君が店長のハイクオリティーショップ「dELVIS」のブログ

http://blog.livedoor.jp/delvisanddezart/


モーターサイクルショップ、エキスパート「HARM'S WAY」のブログ!

http://ameblo.jp/harms-way/


ではではジョニスペ物語はつづく

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パンクロックラインが成功したジョニースペードは何とかまた軌道に乗れた。


この頃、前回話したBEHINDのオサム君からバイオレントグラインドにいた越山さんを紹介してもらった。


越山さんはストリートカルチャーに造詣が深くて、ファンククリブというお店を下北沢でやっていた。ジョニースペードをかなり面倒看てくれた人でもある。


オサム君と俺で企画したライブで越山さんのバンド「AIR GOLLIRA」に仙台に来てもらった事もあった。その後、ジョニースペードから「AIR GOLLIRA」のTシャツを発売した時もあったよ。


越山さんのイベントに招待されて六本木のRホールでジョニースペードを展示させてもらったりして・・本当にありがたかった。



あの頃はサーフ&スケート雑誌「FINE」が最新のハードコアのウエアや音楽の情報をいち早く紹介していた。



ミクスチャーというか・・ハードコアとパンクとサーフとスケートが混ざり合った時代でもあったと思う。
ハードコアバンドとラップのコラボのサントラ「ジャッジメントナイト」なんかもこの頃に発売されたりしてた。



そんな中、越山さんの情報で「FINE」が仙台に取材に来るという事がわかった。



でも店舗のない俺達は取材してもらえる可能性は極めて低かった。


俺は姑息な男なんでね(笑)・・・「FINE」にどうしてもジョニースペードを取材してもらいたいと思い、今だから話せる「長靴をはいた猫作戦」という作戦を考えた。


・・・今、考えるとセコイ(笑)セコすぎる。



ちなみに「長靴をはいた猫」の話

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%9D%B4%E3%82%92%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%9F%E7%8C%AB



まぁ、早い話、何もない貧乏な俺達が色んな策を使って「FINE」に取材してもらうってことなんだけどね。



運が良かったのは、越山さんから仙台に来る「FINE」の担当者を紹介してもらっていたことで、すでに仙台に来る前に俺は担当者と電話で話をして・・・仙台には何回か来てるけど、初めてこのコーナーの担当になるという話だった。


これは俺達にはラッキーだった。


担当者が仙台に来た時に俺と相棒は車を用意していた。東京からの雑誌の取材というのは時間が限られていて取材するショップを迅速に回らなければいけない。


だから地元に詳しい俺達が車で案内するということは、とても担当者にとっては助かることでもあった。


俺達は次から次に・・・担当者を乗せてショップを案内した。


しかし・・ジョニースペード取扱店のみ(笑)。


担当者の人は「凄いんですね〜、ジョニースペードは!どこのお店に行ってもあるじゃないですか!」と感動してくれてた。


そりゃそうだ、ジョニースペード取扱店しか紹介してないもんね。


取扱店でもジョニースペードを全面に押し出してくれていた事も手伝って、担当者に凄く勢いのあるブランドだというイメージをつけることに成功した。


担当者がストリートスナップをするということで・・・俺達と担当者は車から降りて仙台の中心でもあるアーケードを歩きはじめた。


「FINE」はいつも決まった公園に時間を決めてストリートスナップをする。そこまで歩いて行きたいってことだった。


が、しかし!そこにも俺の作戦は用意してあった・・・「FINE」がストリートスナップをする公園、アーケードには俺と相棒が用意した仲間達がジョニースペードを着て歩いてるという・・・総勢15人の刺客(笑)。


・・・俺達と担当者がアーケードから公園に行くまでに沢山のジョニースペードクルーが歩いていた。


皆、すれ違うたびに俺にウインクしてたよ(笑)。



「本当に・・・仙台はジョニースペードだらけじゃないですか!あとであらためて取材させてもらっていいですか!」


「FINE」の担当者はそう言ってくれた。


俺の作戦は大成功。


まぁ、15年前の話だから時効ということで・・・勘弁してくれ。


今、これを書きながらあの時の自分のセコさ加減にめまいがするわ(笑)。


つづく・・・


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今日はManic Street Preachers


ジェームスの曲と声のファンでもある俺は全てのアルバムを所持してます。


マニックスはデビューの時に「アルバムを世界中で1位にして解散する」とビックマウスで宣言したんだけど・・1位を取れず、解散しなかった。


その発言などで非難も浴びたけど、音楽雑誌はこぞってマニックスを取り上げた。売り出す話題性の戦略と実力が伴っていたバンド。


まぁ、その商品が良くても黙ってちゃ売れないってこと。


ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
そして給料5万
どーも、危険を承知でこの一行目に命をかける男、”まぜて、まぜてマドモアゼル”半沢です。


今日の画像は新作Tシャツを早速、購入してくれたお客様達です。
今回のTシャツのシルエットはこんな感じ!




最近、店に来てくれるようになったお客様で、今回の発売を心待ちにしてくれてました!イイ感じの雰囲気です。


二人とも5月発売予定のティアドロップサングラスを装着してくれてます。(左のお客様はグリーン&黒グラデレンズ&SUNSHINE Sサイズ着用、右のお客様はブラウン&茶グラデレンズ&No.13 Mサイズ着用)。

バックスタイルもイカしてます!



また遊びに来ておくれ!



・・・・・それではジョニスペ物語の続き!

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ジョニースペードは前回画像を載せたパンクロックスタイルで商品を発売した。


この商品は大ヒットした!


俺は自分のセンスと勘に自信を持ったし、相棒もそれを信じてくれていた。


取引先も何件か増えて、俺達も何とか給料5万は取れるようになった。


作れば完売・・・また追加で作る・・・その商品の製作の流れも把握できて、相棒はプリント、俺は代表としてデザインと納品&営業みたいな役割になっていた。


・・・弟(INNSANITYドラム)はその頃、ブラストってバンドを組んでいた。仙台のハードコアシーンに参加していて、その周りのバンドやお客さん達もこぞってジョニースペードを着てくれた。


そして・・・仙台でも取り扱ってくれるショップができた。


俺が今でも兄貴と慕う社長のショップやマニアックな品揃えのサーフ&スケートショップ・・・そして、大事な後輩オサム君のハードコアショップ「BEHIND THE SUN」!


俺はこの「BEHIND THE SUN」に強烈な影響を受けていて、PUSHEADデザインのZORLACの衝撃は凄いものがあった。


品揃えはバイオレントグラインド直系で、俺が今もTシャツを大事に持ってる「ZORLAC」や「CRIME」、「スカルスケート」、「バットステイン」、PUSHEADの「マインドスクラッチ」や「ミュージアム」まで揃っていた。フィギアやラットフィンクグッズも並んでいて、圧倒的にカッコよかった。


バンドBUTSCREAMを率いて仙台ハードコアシーンを作っていたオサム君は男気と繊細さが同居する男で・・俺はオサム君が大好きで、本当によくBEHINDに行って、いつも二人で近くのトンカツ食べてた(笑)。


仙台のパンクスやバイカーにジョニースペードを広めてくれたのはオサム君だと思ってる。今もオサム君には仲良くしてもらってる。



・・・・あの時代の俺はあえて仙台のショップさん達にはジョニースペードを委託という形でやらせてもらった。



委託というのはショップに商品を買い取ってもらわないで、その月に売れた分だけ支払ってもらうというシステムなんだけど、あえてそこをやりたかった。


10万円の商品をショップに委託して、1ヶ月1枚も売れなければ・・こちらの売上はゼロ。とてもリスクがあるし、自転車操業の俺にはかなり厳しいスタイルでもある。


でもネームヴァリューのない新規のブランドが全商品をショップに取り扱ってもらうには、一番早いやり方でもあった。お店の方も買取のリスクがないからね。


だからジョニースペードにとっては委託は実力勝負だった。そのショップのお客さん達がジョニースペードをカッコ悪いと思えば買わないし、カッコイイと認めてくれれば購入してくれる。


俺にもメリットがあって、本当の自分達の売上がハッキリするし、どのデザインが売れているかリサーチできる。



ジョニースペードが欲しいと言ってくれる知り合いや友達には取り扱ってるショップに行って買ってもらった。自分達で売れば利益率は高いんだけどね、俺はショップで買ってもらうようにシフトした。


取り扱ってもらってるショップの売上を上げるのは当たり前。


俺の中ではショップ>ブランドの方程式がある。


ショップは現場で戦って売ってくれてるわけで、ジョニースペードなんて何も偉くもなければ高貴なもんでもない。俺はショップの売上につながるような商品をリリースする努力をしなくては・・・といつも思ってます。


俺と相棒はショップにジョニースペードを納品する時、そこで扱ってる違うブランドの商品を度々購入させてもらった。少しでもそのお店の売上に貢献しなくては!と思ってたしね。



そして・・・お金も無いのにそんな感じで浪費する俺達は、またもや頭を抱えていたのだった(笑)。


つづく


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今日はAT THE DRIVE IN!

最初に仙台のディスクノートでサタケ君に勧められ「これ、半沢さん好きなんじゃないですか?」と言われ、アルバムが発売する前にシングルを購入して、ぶっ飛んだバンド。

この頃はエモーショナルコアバンドにハマッてた。




ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
新作リリース!
 どーも、”ダイナマイトなハニー、でもいいんじゃない”・・・いいんじゃない半沢です。


今日は自伝ブログはお休みで、新作の紹介ですぞ。

本日、明日には取扱店さんにも届くと思うので、お近くの取扱店に問い合わせてみてくださいね。

http://www.johnnyspade.co.jp/hp/dealer/index.html


もちろん、通販もOKですから、近くに取扱店が無いお客様は気軽にこちらに問い合わせてみてください。


今回のTシャツはmixiからのみんなの意見を導入し、昨年より薄手でタイトな感じになりました。
個人的には要求に近づけたんじゃないかな?と思ってます。


ジョニースペードは16年やってるだけに古くからのファンと新しいファンが混在してます。
それ故に「今までの分厚いTシャツが良い!」というファンと「薄手でタイトな感じが良い」というファンに分かれる部分もあります。


最近はアメリカのサーフブランドもスリムフィットと通常のTシャツに分けてリリースしていたりするし、タトゥーブランドもファインジャージーという着心地の良いスリムフィットなTシャツをリリースしてたりするので、ジョニースペード的にはファインジャージーTシャツはアリだと思います。


俺自身はセイラージェリーやウォーンフリー等や最新のモードのアメリカブランドを好んだりしていて、薄手でタイトなファインジャージーTシャツも好きで・・体型がスマートに見えるので気に入ってたりします。もちろん、今までのヘヴィーウエイトのジョニースペードのTシャツもよく着てます。今回の少しタイトなファインジャージーTシャツは自分で着てみて、俺的には納得してますので、抵抗があるみんなも一度試着してみれば雰囲気がわかると思います。


mixiアンケートの結果を考慮して、スポットでファインジャージーTシャツを使用する事に決まった時点でデザインをもう一度考え直しました。そして今回のTシャツデザインは「代表作のリマスター(古い音源を新しく、より音質を良くする)」しようという考えになりました。今までへヴィーウエイトのTシャツで納得してなかった人達に改めてリリースした感じです。


「JUSTICE」→「MIDNIGHT」、「KING IS DEAD」→「No.13」、「BLUETIFUL」→「BLUETIFUL(SIDE STYLE)」って感じにデザインをリマスターしました。Tシャツボディも変更してるので、新鮮な感じになってると思います。


ジョニースペードは毎年3、4、5月とTシャツをリリースしてます。来月はスイギングスキンのツバメ君、RYO君のタトゥーデザインをフューチャーするので、昨年と同じヘヴィーウエイトTシャツでリリースするかもしれません。今度は「今まで通りのTシャツが良い!」って人達に納得してもらいたいと思ってます。


スリムフィットファインジャージーやカラフルなTシャツはロックビューティーメンズからもリリースする予定ですので今回のような「薄手でタイトな方が良い!」って思ってる人達も満足してもらうように頑張ります。


ジョニースペードを好きな全て人達を商品で納得させるのは凄く難しいけど、最大限の努力はしたいと思ってます。この不景気にお金を出して買ってもらうんだから、俺としても買ってくれた人に満足してもらいたい。


では今回の商品の説明です。


「MIDNIGHT」


http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/t_shirt/jsts-133/index.html

http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/long_t_shirt/jslt-089/index.html

これは「JUSTICE」をリマスターで、スペード&ダガーをマークとして捉えてバイカーテイストを取り入れてます。フロントロゴの両下にワンポイントブラッドが入ってるのがポイントになってます。
ダメージの入ったプリントが今回のファインジャージーTシャツと組み合わさるとこんなに雰囲気が出るのか〜って感じです。


「No.13」


http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/t_shirt/jsts-135/index.html

http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/long_t_shirt/jslt-091/index.html

これはROCK54氏にフォントを製作してもらい、「KING IS DEAD」を俺なりに違うヴァージョンに料理した感じです。もともとINNSANITYの「TONIGHT(KING IS DEAD)」って曲がテーマのデザインです。王様は正義の人で偽善と悪に塗れた国を立て直そうとするんだけど、マスメディアや悪の力で国民の笑い者になり、演説するスピーカーはぶっ壊されてる・・・王様は絶望し、真実は抹殺され、そして絶命する・・って内容の歌詞がテーマです。で、王様は黒い血の涙を流してる。


「SUNSHINE」


http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/t_shirt/jsts-134/index.html

http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/long_t_shirt/jslt-090/index.html

これはアウトサイダーなアーリーアメカジの雰囲気で架空のバイカーチームイメージ。古さを感じるデザインを心掛けました。スカルの口元が縫ってあるようにみえます。1993はジョニースペード創立の年。「SUNSHINE」って言葉はあえてデザインとは逆説的(パラドックス)。


「BLUETIFUL(SIDE STYLE)」


http://www.johnnyspade.co.jp/hp/shop/t_shirt/jsts-136/index.html

「BLUETIFUL」は「BLUE(青い)」と「BEAUTIFUL(美しい)」の造語で、首元にエバーラスティング(永遠)。プレイングハンドが脇腹に入って雰囲気を出してます。


・・・以上、長くなってしまいましたが今回の商品の説明でした!



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今日は大好きなNils Petter Molvaer!

俺はJAZZも好きでMILES DAVISなんかも聴きます。

この曲は・・・俺の思うハードボイルドな孤独と哀愁を感じる曲です。

ジョニースペードのテイストが好きで、この曲が好きな人はかなり俺と感覚が近いんじゃないのかな・・・とも思います。



ではまた!



ジョニースペード 新作リリース情報 | - | -
Rock n Roll Swindle
 どーも、おふくろのギャグで、「これ、食べてミソ」と味噌おにぎりを出されるキラーギャグを思い出し、憤りを感じた半沢です。


「だっちゅーの」だけは勘弁してくれ。


今日もお薦めブログがありますよ。


荒んだ俺の心にオアシスを与えてくれる秋田エキスパートさんのブログ!バイカー必見!

http://blog.livedoor.jp/expertblogvol2/


俺の可愛い後輩なんだけど仙台でルードギャラリーを展開するsixxのブログ

http://blog.livedoor.jp/sixx_s/


では何故か凄いアクセス数で大反響のジョニスペ物語の続き!何故だ!・・・わからん!まぁ、いいや。

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とにかく、俺はおばあちゃんからのお金で何とか新作を作れるようになった。


ちゃんとその後に、お金は利子付けて全額おばあちゃんに返済しましたのでご安心を。



・・・俺は小学生の頃、両親が離婚してしまって・・学生の頃は、ほとんどおばあちゃんに育てられたといっても過言じゃない。



俺も弟もおばあちゃんに俺達の事で負担をかけるのが申し訳なくてね・・・最初は自分達で何とかお金を作ってコーラとポテトチップスでご飯代わりにしていた時もあったよ。



明るい人でね、何でもケラケラと笑うおばあちゃんで・・・俺がどんな派手な格好をしようが、何をしようが笑ってたよ。



昨年、おばあちゃんが倒れてしまって・・・俺は店を急遽閉めて病院に行ったんだけど、とりあえず血圧があがっていて・・・。



おばあちゃんは俺の顔を見た途端、「まだ死にたくない」って真顔で呟いて俺の手を握ってた。


俺は医者じゃないし、何もできない。病気の前では無力だ。


「畜生!」って思ったよ。


・・・おばあちゃんはとりあえず容態は快方に向かって、今は元気でいるみたいで良かった。


長生きしておくれよ、おばあちゃん。



・・・・まぁ、そんな俺のセンチメンタルな話はどーでもいいとして(笑)



ジョニースペードは何とか次の新作を発売した。



パンクロックアイコンを多用したメッセージ色の強いフーデットパーカーとラバーリストバンド。



俺はその頃、ニルヴァーナにも夢中で、カートコバーンのネガティブで自己破壊的な思想に傾倒していた。


ニルヴァーナが「IN UTERO」を発売する前で原題の「I HATE MY SELF I WANT TO DIE」(俺は自分が嫌いだ。死を望んでる)の言葉を使用したフーデットも発売した。



ラバーリストバンドはその時にお世話になっていた高橋のアニキの力作。


俺はアニキに福居ショージン監督の「ピノキオ√964」&70’Sパンクロックの事などを説明して、
よりフェイクでボンデージチックなラバーリストバンドを作成してくれるように頼んでいた。



アニキはその後、「マリア」というシルバーブランドを始めるくらいの才能がある人で、ラバーリストバンドも俺の思うような完璧な物を作ってくれた。



そして、ジョニースペードは前回のハードボイルドでギャング調スタイルから、パンクロックスタイルに変わった。



俺の中には最新のスタイルや流行を自分のフィルターを通して表現する「ローリングストーンズ理論」というものがある。



これは長くなるんで・・またの機会に説明します。



で、また「CUTIE」にお願いして掲載してもらった記事がこれ!(1994 1月号)




続きは次回!

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今日はSEX PISTOLS!

これも15歳頃にズガーンと影響受けました。

動画はあえて「The Great Rock n Roll Swindle」(ロックンロール詐欺)。

個人的にはジョニーロットンが好きなんだけど、この時には既にいない状態。

俺のギターヒーローはスティーヴジョーンズ。

この人と鮎川誠氏に憧れて、ギブソンレスポールカスタムを買った。

今もレスポールカスタム。




ではでは!



ジョニースペード物語 | - | -
PUNK'S NOT DEAD

どーも、おふくろの「いらっしゃいまほ〜♪」のギャグに脳天を撃ち抜かれたコンバンミー半沢です。



3/20〜21にジョニースペード新作TシャツがHPにアップ予定です。それまで俺のどーしようもないブログで暇をつぶしてください。



俺的にお薦めブログがありますので、時間のある方は観てみてください。


まずは頭脳明晰なアジテーター!弟分ブランド「LUST FOR LIFE」のブログ!

http://blog.lustforlife.jp/

ミュージックがバックボーンのロックデザインの数々、ROCK54のブログ

http://fireball54.jugem.jp/

そして七海ちゃんの「ジョニースペードロックビューティー」!

http://josprock.jugem.jp/




・・・ではまたジョニスペ物語の続き!

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最初のリリースした商品も在庫がなくなり、お金も残らなかった俺達はまたいつもの生活に戻りつつあった。


生活費に充てていた俺のCDやレコード、本も尽きていて、服もフリーマーケットで売りさばいてしまって何も無くなっていた。


唯一の救いはジョニースペードを欲しいと言ってくれる友達や取扱店の存在だった。
その人達は俺達がこんなに困窮していたなんて知るはずもない。



「次の新作は何ですか?」



「ジョニースペード売れてますよ!在庫はもう無いんですか?」



・・・・その言葉達が俺を焦らせた。



俺はその人達の期待に応えたい!という気持ちと、ここで終わってたまるかという意志があった。



・・・自分のやりたい仕事に就ける人は少ない。



俺はジョニースペードを始める前にある仕事を一年間やっていて・・・好きでもない仕事で生活の為にやっていた。給料は良かったんで、あのままあの仕事をやっててもよかった。


でも・・その会社は人間関係がドロドロしていて、派閥があって、みんなずるくて薄汚い自己顕示欲の塊で、言葉と腹の中が違うのは当たり前の人達だったよ。


そこにいる人達はそれが全てだと思っていたと思う。その中でしか権力を発揮できない人達やプライベートもそれが中心の人達だった。


当然、俺はそこに合うはずがない。


もちろん、俺を理解してくれる人達もいたんだけど・・その会社のしがらみや人間関係にがんじがらめで、そこから出られない人達だった。


俺は一年間その仕事を頑張ってみて、「貧乏でも自由でいたい!」って心から思った。


それと同時に「頑張れば何の仕事でもできる!」みたいな俺の小学生みたいな理論はぶっつぶれた。自分の人生をあきらめていたら、そのままそこで我慢する人生でもよかったけど・・基本的にわがままなんだね、俺は。


ドラマや漫画じゃないんでね・・・夢なんて誰でも叶うもんじゃない。
でも俺は自分の人生にはまだ先があると思っていた。
俺は夢見がちなんでね。


その会社を辞める時に上司に言われたよ


「社会人不適応のお前は何やってもダメだ。ロック?か何だか知らないけど勝手にやってろ。社会はそんなに甘くないんだよ」って。


・・・・まあね・・・そうだよ。俺みたいなのはどうしようもない。


・・・だけど今、そんな俺の商品を欲しがってくれてる人達がいる・・ここで何とかしなければせっかくのチャンスを不意にしてしまう・・・。


俺はそんな自分の過去を振り返りながら、これからどうするかを考えていたと思う。


俺は次のジョニースペードの新作はガキの頃からこだわり続けてきたパンクロックをテーマにしようとしていた。ハードコアではなくパンクを表現したいと思っていた。


前回がピストル、スカル、スペードと俺なりのハードボイルドなモチーフでロカビリーテイストにしていたつもりだったんで、パンクロックを取り入れれば次のジョニースペード商品の雰囲気が変わってしまうのも承知だった。


「ANARCHY」・・・「DESTROY」・・・「DEAD」・・安全ピン・・・パンクロックモチーフをを思い浮かべてデザインを考えていたね。


その頃、アメリカのスケート、サーフ系ブランドからはメッセージ色の強いデザインがリリースされていて、俺はそのスタイルにこのパンクロックを当てはめた。


必死で手書きで作ったデザインは自分でも気に入っていた。


誰もこんなの作ってないし、早くリリースしたい!という気持ちとこれがダメならもうあきらめようという気持ちでいたと思う。


俺は何とかこれを製作するお金が必要だった。
当然、誰も貸してくれないし、信用組合もまだ無理とのことだった。


最後の手段で、おばあちゃんに頼み込んだ。


おふくろやおじいちゃんに内緒でおばあちゃんが30万貸してくれた。


「もうこれでダメならちゃんと働きなさいよ」って。


俺もこれでダメなら、ジョニースペードはあきらめようと思ったね。


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今日はバトルロッカーズ!

俺は15歳の頃、地元の仲間と映画館で「爆裂都市」を観て・・次の日は全員リーゼントから短髪のパンクになっちゃった(笑)。

ロッカーズ、ルースターズ、モッズ等のめんたいロックといわれるバンド達は今でも俺の大切なバンドです。福岡は本当にカッコイイバンドが多かった。



ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
反比例
 どーも、春の日差しを思いっきり浴びて、深呼吸をしたら謎の虫まで吸い込んだ”まいっちんぐ”半沢です。


ではでは続き!


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そんな感じで、何とか軌道に乗ったジョニースペードではありました。


在庫もなくなってきて・・・取扱店も増えて・・・俺と相棒も暇をつぶす事がなくなってきた。


しかし・・・何かが上手くいっていなかった。


前回、書いたように信用組合にも、口座を作って日々の売上を持っていってたんだけど、通帳の中は支払いなどでお金が残らない状態になっていた。


俺は原価計算を見直しをしてみた。やはり利益率が低かった。


そりゃそうだ、素人同然で始めたわけで・・・ちゃんとしたアパレルのようなルートを使って製造してないんだから、一枚単価は上がって当然だった。


ジョニースペードはアメリカのスケート、サーフ、ストリート系ブランドが使用していたTシャツを同じように使用していた。俺はそこにはこだわった。


Tシャツを輸入するにも、ルートがなかったので輸入業者から卸してもらっている業者に頼んでいた。その業者にマージンを搾取されていたので、Tシャツの単価が高いのは仕方がない。マージンを搾取されるのは商売だから当たり前なんだけどね。


そのうえ俺も相棒も生活や支払いに追われていたので、せっかくの売上は俺達の生活費や支払いにまわってしまって、売上は上がってもいつまでもお金は貯まらない悪循環。


それと反比例で周りの人達や通信販売の人達が注文をくれたり・・取扱店さんが追加注文を頼んでくれたり・・・とジョニースペードへの周りの反応は上がっていってた。


そして・・・やはりお金が尽きて、注文の商品を作る事ができなくなった。


俺のミスだ・・・・甘かった。


そして、またいつもの生活に逆戻り・・・。


そんな複雑な状況の中、俺はジョニースペード結成記念で「ROCK-A-REBEL TRAIN」というイベントを開催した。


今も仲良くしてもらってる仙台のバードランドというライブハウスで。


JOHNNYSPADE(現INNSANITY)、マジェスティックトエルブ、RED ROCKERS・・etcでロカビリー、パンク、サイコビリー系のバンドが揃ってくれた。


開けてみたら・・・人が階段まで溢れて、凄い状態。自分で企画してビックリした(笑)。


相棒と後輩はそこでビールなんかを売っていて・・・バイカーの仲間達もライブハウスの横にズラッとバイクを並べて・・・旧いアメ車のオープンカーで来てくれた仲間もいた。


グレートインベーダーズのメンバーも全員遊びに来てくれていて、そのまま演奏してもらったりしたなぁ・・・一番盛り上がった。あん時はありがとう、クサカイ君。


・・・そんな感じで周りは「凄い盛り上がりじゃないですか、半沢さん!」、「定期的にイベントをやりましょうよ!」、「ジョニースペードのTシャツ売ってください!」・・・etc


嬉しい言葉と仲間のありがたさを肌で感じた1日で・・・だけど俺は憂鬱だったのを憶えてる。


イベントが終わり、お客さんやバンドのみんなも帰って・・・相棒とバーランの階段に座って・・・「明日はどうしようか・・・」って二人でうなだれてた。


ジョニースペードも良い調子になってきて、イベントも成功したのに・・・次に進めなかった。


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今日はTHE ALARM!



ではまた!


ジョニースペード物語 | - | -
心のもちようさ

どーも、半沢です。


今日は20時からTBS「ドリーム・プレス社」、21時からTBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」に
長年のお付き合いがある川村カオリさんが出演します。


彼女は16年前にジョニースペードが「CUTIE」に掲載されて、すぐに問合せをくれて購入してくれた人物でもあります。それから長いお付き合いをさせてもらってます。彼女の最新のストリートへの嗅覚力、センスには脱帽です。


彼女のおかげで色んなロックバンドの方々との付き合いが生まれました。
仲の良い根岸孝旨氏(COCCO等のプロデューサー)と出会えたのも、彼女がレコーディングスタジオでジョニースペードのカタログを見ていてくれたのがきっかけです。


今、彼女はガンという病気と力強く闘ってます。その想像を絶する苦しみは計り知れないものがあります。もし時間があれば、今日の番組で彼女の生き様に触れてみてください。


俺は心から応援してます。


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では・・・凄いアクセス数になってきたジョニースペード物語の続き!


俺と相棒は発売された「CUTIE」を購入して、何回も読んだ。


大袈裟には書いてあるけども、掲載されたことに俺達は大喜びだった。


でも、その時の俺達は生活に疲れきっていて、喜んではいたものの期待はしないようにしていた。
期待していてダメだと精神的ダメージが大きいのを俺達は知っていたし、そのダメージにも慣れていた。


俺達はなけなしの金でハンバーガーを買って、いつも通りに夕方まで海を見に行って・・・夕方に事務所を兼ねた俺の家に戻った。


戻ったら・・・・電話の留守電の調子がおかしかった。中古の電話機だったしね。


「あらら、せっかく雑誌に掲載されたのに・・・俺達はつくづく運がないんだなぁ・・・」と相棒と笑っていた。


・・・いや、違う・・・留守電のテープがいっぱいになってる!


俺は慌てて再生を押してみた・・・・新規取扱店、通信販売などの36件の問合せがあった。


俺達は期待しないようにしていた心のガードが取れて、今度こそ本当に喜んだ。


ここからジョニースペードは勢いづいた。


東京、福岡の取扱店も増え、在庫の山だったダンボールが消えていった。


俺達に興味を持ってくれたお店はやはりロカビリー、ロッカーズ、バイカー、ギャング系のお店が多くて、ロカビリーのお店もレーヨンシャツにスラックス、ラバーソウルというロカビリースタイルとはまた違う新しいストリートスタイルを推奨するお店が多かった。


パンク、ハードコア、ロカビリーなんかがミクスチャーになってきた時代でもあったし、ギャング、スケートなどもそこに混在していた時代だった。サイコビリーってジャンルも確立されてきた辺りだったしね。


前回、話したような俺達を否定していた友達までもが「ジョニースペード欲しいんですけど!」と言ってくれるようになった。


その時の俺は「あんな言葉を浴びせられた、お前らには売らないよ」なんて、ガキみたいな真似はしなかった。


・・・・「認めてくれてありがとう!」って言ったよ。


昔の俺なら「ふざけんな!」なんて言ってた(笑)。その時あたりから俺は精神的にも変わっていった。


苦労っつーのは人間を成長させるよ・・・。


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今日はじゃがたら!

この詞に何度、助けられたことか・・・。



ちょっとの裏切りなら水に流せる・・ちょっとの裏切りならば水に流してしまおう・・・
人の愛には打算がいつもついてまわるものさ・・・心のもちようさ


ちょっとの甘い罠にははめられもする・・ちょっとの甘い罠には軽くはまってみせる・・・
弱い奴らのおつむにゃせこさ加減がちょうどさ・・・心のもちようさ


ではまた!


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